#01 サッカーとビール、大阪を共に盛り上げたい2人が話したセレッソ大阪のいまとこれから

2023.02.28

シクロ代表取締役の山﨑と、いろいろな分野で活躍している山﨑が話してみたい人を呼んで対談するシリーズ。今回の対談相手はあの、セレッソ大阪の代表、ミスターセレッソこと森島寛晃さん。チームオリジナルのビールづくりへのオファーをきっかけに繋がったセレッソとシクロ。懐かしのウイイレでひと勝負の後は、森島さんがセレッソ大阪の社長に就任するに至った経緯や、大阪の風土、自身のキャラクターについて話してもらいました。

PROFILE

森島 寛晃 氏

株式会社セレッソ大阪 代表取締役社長
広島県広島市出身。小学2年生で地元・広島の名門である大河FCに加入。静岡県の東海第一高校を卒業後、ヤンマーディーゼルサッカー部にプロ契約で入団。同チームが母体となってJリーグに参入したセレッソ大阪でプレー、チームを牽引する。2008年に引退し、アンバサダーや強化部を経て、2018年12月より株式会社セレッソ大阪代表取締役社長に就任。Jリーグの開幕連続得点記録(7試合連続)、オールスターゲーム最多得点記録の保持者。愛称は「ミスターセレッソ」「モリシ」。
HP : セレッソ大阪

山﨑 昌宣

株式会社シクロ代表取締役 / シクロホールディングス株式会社会長
Derailleur Brew Works代表

大阪府大阪市出身2008年大阪市内で介護医療サービスの会社「株式会社シクロ」を発足。2018年からは趣味が高じてクラフトビール「Derailleur Brew Works」の醸造を開始する。自転車競技の実業団にも所属するロードバイク好き。異業種の出会いこそが自らが強く&面白くなれる道と信じていて、人との繋がりを大事にしている。口癖はネクストとステイチューン。
HP : Derailleur Brew Works

今回の対談のきっかけについて教えてください。

森島 そう、きっかけはね……って、なんですかこれ!

山﨑 ふっふっふ。今回、森島社長と対談できるということで、ぜひ黄金期のモリシ(※1)を堪能しながらお話ししたいなと思いまして。「ウイニングイレブン2002」を買ってきました。PS2は自前です。ひと試合して場をあっためませんか。

森島 まさか最初にゲームするとは……!うわ〜、21年前か。懐かしい選手がいっぱいいますね。

山﨑 僕はガンバ大阪でプレイするので、森島社長はぜひ当時のセレッソで戦ってください。

森島 よーし……あ、ちょっとメガネ失礼しますね。最近老眼でぜんぜん画面が見えないんですよ(笑)。

山﨑 (笑)。

※1 モリシ
森島社長の現役時代の愛称

森島 山﨑さんと知り合うきっかけになったのは、2021年でしたか。お問い合わせフォームにご連絡いただいたんですよね。

山﨑 そうなんです。大阪のスポーツチームのビールを僕がつくりたくて、いろんなチームにお声かけしてたんですけど、そのときに一番レスポンスが速く、かつむちゃくちゃ前のめりで来てくださったのがセレッソさんだったんですよ。

森島 あ〜!シュート思いっきりフカしちゃった!選手誰……って僕じゃないですか!

山﨑 □ボタンがシュートなんですけど、ボタンを長押ししちゃうと上に飛んでっちゃうんですよ。

森島 苦手なミドルシュートですね、選手時代は実際、ああいう感じでしたね(笑)。

山﨑 後日、うちの会社がある西成に来てくださったのも嬉しかった。その時に「せっかくやるなら僕たちだけにメリットがある話ではあかんよね」ってお話いただいたんですよ。前向きに検討するだけじゃなく、周囲の人たちをいかに幸せにさせるかっていう目線のところまでお話いただいたのにすごくシビれて。そこで僕、シクロとしてセレッソ大阪のパートナーになろうって決めたんですよ。

森島 そうだったんですか、いやあ、ありがとうございます。あり……あ、やばいやばい!あ〜、またボール飛ばしすぎたな……。

山﨑 いまの大久保嘉人選手(※2)ですね。

森島 嘉人かあ。まあ当時の嘉人はこれくらい思い切りがありましたからね!いいよいいよ!

山﨑 (笑)。

森島 こちらとしても嬉しいんですよ。山﨑社長への思いもそうだし、サポートしていただくなかで一緒にいろんな取り組みをやらせていただけるのはクラブとしても大きいですし。

山﨑 森島社長の軍団がスポーツ新聞の記事を持ってきてくださったり、ご自身のYouTubeチャンネルにうちを使ってくださったりして、僕らは「ビールをつくらせてくれてありがとう」の立場なのに、同じステージ引き上げてくれるのは、本当に感謝しています。

森島 ビールはサポーターの方々にも還元できるし、こういう取り組みはクラブとして魅力を感じますし、お互いに成長できるなと思いますね。山﨑社長、よくそんなにプレイしながら話せますよね。僕もう……あ、あー!あかん、ちょっと……!

山﨑 あ〜〜〜〜!!ガンバが点入れた!!

森島 あ〜〜〜〜〜!!

※2 大久保嘉人
元プロサッカー選手。史上初の3年連続Jリーグ得点王(2013年 – 2015年)、J1通算最多得点記録保持者(191得点)。2001-2006年、2021年にセレッソ大阪に所属。

今も昔も「セレッソを最高のサッカークラブ」にしたい気持ちがあった

サッカー選手のセカンドキャリアが「クラブチームの社長」というのはとても珍しいのではないでしょうか?

山﨑 そうですよね。森島社長って、高校卒業してすぐにセレッソ大阪の母体であるヤンマーに入社したんでしたか。

森島 そうですね。生まれてから中学卒業までは広島なんですけど、高校は静岡で、そこから大阪。ヤンマーディーゼルサッカー部に入団しました。人生の大部分を大阪で過ごしてますね。僕がヤンマーに入った91年の当時はまだJリーグは始まってなくて、94年のリーグ発足に向けていろんな企業が選手を獲得してた時期です。

山﨑 そこからはずっとセレッソ大阪ですよね。「ミスターセレッソ」って愛称があるくらい。モリシといえば2002年の日韓ワールドカップを思い出す人も多いですよね。チュニジア戦で、決勝トーナメント進出を決めたあのゴール。一気に世界に森島という選手のことが広がった瞬間でしたけど、ただあの時って、セレッソ大阪ってJ2じゃなかったですか。

森島 そうなんですよ。前年の2001年にJ2に降格してしまって。

山﨑 当時、海外への移籍の可能性ってあったんじゃないですか?

森島 それがですね、あんまり自分のところにそういう話はきてなかったです。というのも自分は「海外へ行きたい」っていう意識があんまりなかったので。

山﨑 へー!そうなんですか!

森島 でも、1回だけ「海外でやりたい」って思ったことがあります。それは僕が現役を引退した翌年に香川真司(※3)がドルトムント(※4)に移籍した時。当時、僕が香川に会いにドルトムントの拠点に行くっていうテレビの取材があったんですけど、いろんな国から来た精鋭たちと一緒にドイツの土地で活躍してた姿を見て「自分もちょっとここに立ってみたい」って思いました。

※3 香川真司
プロサッカー選手。セレッソ大阪のエースナンバーである8番を2009年のシーズンに森島選手から引き継ぐ。2006-2010年セレッソ大阪所属。2023年から古巣のセレッソ大阪に復帰。

※4 ドルトムント
ノルトライン=ヴェストファーレン州ドルトムントを本拠地とするドイツのサッカークラブ。

山﨑 香川さんって背番号的にも後継者ですもんね。海外には行かなくても、国内の当時もっと強かったチームからの誘いはなかったんですか?当時「モリシはJ1のチームに移籍したほうがいいんじゃないか」って、サッカーファンはみんな言ってましたよね。

森島 そうですね。お誘いもいくつかいただきましたけど……でもセレッソに留まり続けるっていう気持ちは揺れなかったですね。

山﨑 それはなんでですか?セレッソ愛ですか?

森島 セレッソ愛っていうよりも、セレッソってなかなか勝てなかったから「このチームで優勝したい」って思いが強くなっていっていたのは間違いないですね。自分たちがチームの強さを落としてるって責任も感じてましたし。あと、セレッソで優勝できないまま僕が辞めて、辞めた瞬間に優勝されるのも嫌やなって(笑)。

山﨑 それは複雑(笑)。

森島 でも結局僕の現役時代は優勝できなくて……。僕が辞めた後になるんですけど2017年にようやく優勝できました。現役時代に5回、僕が社長になって2回、タイトルを逃してます。なんでかそっちばっかり伸びるんですよ〜(笑)。

山﨑 ちなみに、現役引退されたのが2008年でしたか。その時、次の進路は決まってたんですか?

森島 それが、決まってなくて。2006年後半くらいから首を痛めてしまって、いろいろリハビリや治療したんですけど、一時期はサッカーどころか日常生活を送るのにも苦労していて。2007年はほぼ1年間試合に出てませんでした。

山﨑 うんうん。

森島 ほぼ現場から1年離れていた訳ですけど、それは当時のセレッソが時間をくれたからなんですよ。「1年じっくりかけて、首を治して戻ってこれるように」って。治療のための1年でしたけど、はじめてチームを外から見ることができた。「治療のために」で時間を設けてくれただけに少し申し訳ないですけど、首の不調を踏まえた自分の今後であるとか、自分に何ができるのかを考えるきっかけになりました。それがあったから引退も決断できた。

山﨑 自分で納得がいったんですね。もし無理に走り続けてたら、引退するときの気持ちも違っていたかもしれませんね。

森島 そうですね。それにその1年のあいだで、当時まだ若手だった香川や乾(※5)の試合を観客として見れたのはよかったです。彼らがやってるサッカーってめっちゃ面白くて、うまい。これは辞めるちょうどいいタイミングやなと。決して後ろ向きではない気持ちで、指導者など別の立ち位置でチームに関わっていけたらなと思えましたね。

山﨑 1年間時間をくれるっていうのはすごいですね。

※5 乾
乾 貴士。プロサッカー選手。
ラ・リーガ(スペインのプロサッカーリーグ)での、日本人史上初の100試合出場達成者にして、アジア国籍選手で通算最多出場記録保持者。2008-2011、2021-2022年セレッソ大阪所属。

森島 本当にありがたかったですね。練習もできなかったので、リフレッシュも兼ねて大阪湾に釣りにも行きました。2日ぐらい続けて釣りに行ったとき、常連の釣り人に「今日も休みですか?」って言われて。いや、ちょっとあの……って(笑)。

山﨑 ほんまのこと言うたらえらいこと書かれるやつですね(笑)。

森島 現役でプレーしている最中って、なかなか引退後のことを考えられる人って少ないので、自分の出来事をきっかけにはなりますけど、何かあったら1年間じっくり今後のことを考える時間がもっと選手たちにあってもいいと思いました。

山﨑 セレッソの社長に就任するきっかけってなんだったんでしょう?どなたかからの任命や推薦などがあったんですか。

森島 前社長が辞められるにあたっての人選会議のなかで、現役を引退したあともチームのアンバサダーなど30年近くセレッソに関わっていたので「森島はいろいろセレッソのことを知ってるんじゃないか」という声は挙がったみたいですね。セレッソをもっと大きく広げていってほしいという会社側の思いと、僕の思いとが一致したのかなと。とはいえ、人事から社長のお誘いは5回くらい断って、ようやっと決めた感じにはなるんですが。

山﨑 断る理由はなんですか?

森島 自分が目指してたのは監督でしたから。勢いでやりますっていうのはさすがに無責任になるので言えなかったです。でも最後は「セレッソを最高のクラブにしたい」っていう思いで決めましたね。現役の時も、現役を引退してからもセレッソ大阪というチームをもっといろんな人に大好きになってもらいたいという思いはあったし、それは社長になっても変わらないです。経営者としての勉強もまだまだですが、自分のできることをしっかりやっていくだけだなって。

Interview & Text by ヒラヤマヤスコ
Photography by 福家信哉

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