Loading...

COLUMN

あと10年たったら(前編)

笑福亭鶴瓶が、人生を決定づけた。
何人かの男に、何人かの女に、僕は人生を変えられたと思っている。
ネガティブな言い方になるので、人生を決定づけた。というべきだとも思う。
ふわふわの自己決定の中では、いずれどう動いても同じ未来に収束するので、
他者に決定を委ねてもらわないと、自分では見れない地平に到達しない。そんなもんだと思う。

 

 

タイムリープでよくある話のような。
なんどやり直しても、最悪の事態は回避できない。
収束されてしまう。そんなもんだと思う。自分で見えて、自分で決めれる選択肢は、それほどバラエティに富んでいない。
あと、こんな幼馴染と夏祭りに行く世界線、どこにあるんやろ。

18歳。センター試験の翌日。
阪神大震災だった。僕はわずか数十キロしか離れていない惨状を何も気にすることなく。ブラウン管の向こう側の風景として、ただただコンテンツとして消費していた。2次試験まで暇だったし。
当時はテレビ大好き高校生だったので、深夜帯までずっとテレビを見ていた。することもないし。

笑福亭鶴瓶は、怒っていた。
なんで怒ってるん?テレビで?
まさしく対岸の火事。
としか、感じていなかった僕を揺さぶる。
僕は、翌日。
せめて手伝いに行かねばという謎の焦燥感。
自分にできることはないのかという自問自答。
それだけを燃料に、西宮市に歩いていくことになり。
受験していた大学を蹴り、進路を変えてしまった。
若い。でも、間違いなく、彼の怒りに触れ、僕は人生を決定づけてしまった。

笑福亭鶴瓶は、落語家である。落語がうまい。

これ神回やなあ。今夜、すべての、ビアバーで。
らくごのごという番組がほんとに好きだった。
桂ざこばと、笑福亭鶴瓶が、寄席客にお題を3つもらって、即興で落語を披露し、優劣を競う番組だった。
笑いのとり方は自由だ。
お題を入れ込んだ話の筋の構築に四苦八苦する姿、ときには泣きを入れ、
困り果てた姿で笑いを取れるざこばに対して。
彼が話をどう組み立てたいこうとしているか、それがわかりやすく見え、
2次元で展開されていて、
僕らは志村後ろ、と叫ぶように、
または温かく見守るように、彼を応援し、笑う。

鶴瓶の落語は、自由自在だった。
どんなお題を出されても縦横無尽に配置し、
届かないような位置に置かれたところにまで、話が届く。
小さくまとまるわけではなく、
自分が想像しているところに時空の穴ができていて。
突然オチに届くような、いつも彼が話す頭上には、いくばくかの宇宙があった。

ざこばの2次元に比べ、鶴瓶は3次元だし、奥行きを超えて、突然伏線を回収するその様は、4次元だし、宇宙だったのだ。
若い頃の僕は、そう感じていた。ひらたく虜である。

僕を虜にした男が、人生を決定づけた男が、ドキュメンタリー映画になっていた。
きっとそこには話術で展開する4次元の宇宙があるはずで。

観たい。

だが8月6日から12日までの間だけ、上映をしないという。見たいと思う日に見れない。
時空の穴はできていなくて、手繰り寄せようとも、手には届かない。

僕には宇宙は無かった。

その日、映画のためにぽっかりと開けた時間を埋めるために、同時間の映画を探す。
携帯のサイトに、でてきたのは
THE FISHMANS MOVIEだった。
フィッシュマンズか。
ロングシーズンで溶ける夏が、今年もあった。

まあ、宇宙だよな。こっちも。
日本でも、世田谷でも、あるけれど。

後編に続きます。いや、続かないのか。

今日が終わっても
明日がきて
長くはかなく
日々は続くさ。
意味なんかない 意味なんかない
今にも僕は泣きそうだよ。

UAが思った以上に大阪のおばちゃんになってて。
じゃあ、後半に続けます。

お盆前の、時間稼ぎ。ゆるしてください。
どうしても、バケモン、見てからのほうが、つぶやきたいことが多いきがするんです。

だって今夜は、だって今夜は、土曜日の夜。