#01 「なんでみんなやらんの?」京都のクラフトビール文化を牽引する株式会社カケザン代表の実体験主義な生き様

2025.10.20

シクロ代表取締役の山﨑と、山﨑が話してみたい、いろいろな分野で活躍している人を呼んで対談するシリーズ。今回の対談相手は「BEER PUB TAKUMIYA」「Crafthouse Kyoto」などのビアパブの運営や、クラフトビール「NUDE BEER」を展開する株式会社カケザンの代表・白石拓海さん。恐怖や不安にとことん疎く、自分のやりたいことに飛び込み続けてきた白石さんのキャラが形成されたバックボーン、旅人時代のぶっ飛びエピソード連発に、山﨑の固定概念が崩された対談となりました。

白石 拓海 氏

株式会社カケザン代表取締役

京都府京都市出身。ビアパブ「BEER PUB TAKUMIYA」を2015年にスタート。現在は市内で飲食店4店舗を運営するほか、山の恵みゆたかな京北の地でつくるクラフトビール「NUDE BEER」を立ち上げる。高校卒業後から国内外を放浪し、人と出会ってきた経験を糧に「人と人が繋がるコミュニティー」「自然と街を渡す橋になる」をテーマに、場所づくりやブランドづくりをおこなっている。

Instagram:KAKEZAN

山﨑 昌宣

株式会社シクロ代表取締役 / シクロホールディングス株式会社会長

Derailleur Brew Works代表

大阪府大阪市出身2008年大阪市内で介護医療サービスの会社「株式会社シクロ」を発足。2018年からは趣味が高じてクラフトビール「Derailleur Brew Works」の醸造を開始する。自転車競技の実業団にも所属するロードバイク好き。異業種の出会いこそが自らが強く&面白くなれる道と信じていて、人との繋がりを大事にしている。口癖はネクストとステイチューン。

HP : Derailleur Brew Works

日本のことを知るためにテントとバイクで放浪生活

noteで自己紹介もされてますが、白石さんはなかなかユニークな経歴だとうかがいました。

山﨑 京都のクラフトビールの売り手といえば白石拓海だと僕は思っているんですが。拓海さんのキャラクターがどんなふうに生まれていったのかっていうのは、めっちゃ興味あります。高校卒業してから放浪してたんですっけ。

白石 そうですね。はじめてひとりで海外に行ったのが、ロンドンでしたね。知人が住んでた街だからっていう理由で。大学がはじまるまでの1ヶ月くらいかな。高校の卒業式が終わってその日にいきました。

山﨑 初手からだいぶ攻めたエピソード……。

白石 ロンドンに行って、その当時、まだインターネットも通ってないし、もちろんその日の宿の予約なんてしてないんで、向こう行ってから、全部その駅で交渉するんですよね。
で、僕もそんなにお金がないんで、1000円以下やったらもう泊めてもらうみたいな感じで、ずっとヨーロッパをぐるぐる回ってたんですよ。

山﨑 あ、 そういえば拓海さんって大学進学してたんですね。

白石 それがですね……。僕、もともとCAになりたかったんですよ。キャビンアテンダント。海外に行けるしええなあって。ただ、時代的に男性のCAって全然いなくて。

山﨑 そうですよね。

白石 で、調べてたら、男性CAを輩出している日本の大学が分校をハワイに持っていて、わざわざ選んで行ったんですよ。

山﨑 へえ〜、ハワイ。

白石 ほなそこで勉強するぞ〜って思ってたら世界的な就職氷河期が来て、ヨーロッパ中でストがおきたんですよね。僕が入学したハワイ分校は、無料留学制度があったのに廃校になりました。(笑)。

山﨑 あっはっはっは!!

白石 ヤバいですよね。そんな感じであっというまに大学生活が終わってしまって(笑)。どうしようかと考えた時に、もっと日本のことを知らなあかんなと思ったんです。ヨーロッパを放浪してた時に、みんなから「日本ってどんな国なの?」って聞かれるんですよ。いまみたいにネットもSNSもないですから。で、全然答えられないんですよね。

山﨑 ほうほう。

白石 京都は生まれ育った街やからまだいけるんですけど。日本全体のことでいうと、土地のことも歴史のことも詳しくわからない。それで、また海外行く前にまずは日本のことを知ろうと思ったんですよ。もう、日本全部回っちゃおうって。で、礼文島に移住したんです。

山﨑 急なんですよねえ〜。いきなり北海道の北の果ての島!

白石 稚内行ったらね、礼文島が見えたんで……。それに、その時の放浪はバイクで行ってたんですけど、ツーリングといえば北海道じゃないですか。

山﨑 北海道ではどんなふうに過ごしてたんですか。

白石 貯金を食い潰しながら放浪してたんで、礼文島に渡ったら所持金が残り1000円くらいやったんです。これはもう働くしかないなあって思って、礼文島に住んじゃおうって。最初の方はテントで生活してましたね。

山﨑 テントですか……!

白石 でも、テントに住んでた方が、興味持ってくれたおもしろい人が集まるんですよ。

山﨑 まあそれはそうなんでしょうけど。いや〜、すごいな。

白石 礼文島はしばらくいたんですけど、寒すぎるから「はよあったかいところ行きたいな」って思って。それで沖縄に移動することにしたんです。また本州を1年以上かけてゆっくり下っていって。で、同じような感じで端に行ったら島が見えたので、今度は石垣島にいきました。島を出たり入ったりしてはいましたけど、石垣島は30歳まで滞在してましたね。

山﨑 どうやって生活してたんですか? 

白石 家は、最初の2年くらいは石垣島でもテント生活だったんですよ。そもそも僕が石垣に行ってた当時は、島自体がまだぜんぜん世間に知られてもなくて、島外の人に家を貸してくれなかったんですよね。で、テント生活してるうちに島の人たちと仲良くなって「あの家使っていいよ」って言ってもらえて。

山﨑 収入はどうやって?

白石 テント生活がメインだった頃は、あまり「お金」っていうのはもらってなかったんですよね。農業の手伝いする代わりに現物支給してもらうとか。ただ僕が石垣島に移って2年くらい経ったあたりから、徐々に観光開発がされてきたんです。僕が拠点にしてたキャンプ場も閉鎖になっちゃって、そこからはリゾートバイトしたり、島の先輩がやってるお店を手伝いに行ったりして、生計は立てられてましたね。

山﨑 へええ〜。生活ってそんな、全然いけるもんなんや。京都に帰ってきたのは30歳の頃って言うてはりましたけど、帰ってきた理由はなんなんですか。

白石 石垣島ってすごく変なやつばっかりで、おもしろかったんですよ。ただ、観光地化していくなかで、いろんな問題が見えてくるんですよ。僕が住み始めた頃は島民はせいぜい3万ちょっとくらいやったけど、いま5万人弱です。しかもそこに、140万人くらいの観光客がきてる。

山﨑 そんなに島外から来てるんですか……!

白石 ゴミの問題もすごかった。けど、まあ他所から住みついた人間があんま文句言えへんのですよね。お金が落ちるんやったら観光客を受け入れるのは当然だと思います。でも、それによって、環境が汚れていくのが、めっちゃ見えるんすよ。

山﨑 とはいえ島の人だってやっぱり豊かな生活になりたいですしね。

白石 ちょうど島の開発に合わせて、テント暮らしの時に興味を持って覗いてくれたおもろい人たちが減ってるなとも感じてたタイミングで。それやったら京都に戻って、商売するのが楽しいかなと思って帰ってきたんです。

山﨑 その時って、京都以外にも戻る選択肢ってあったんですか。

白石 迷いなく京都でしたね。30歳って自分のなかで人生の折り返しやなって思ったんで……。

山﨑 いやいや早すぎます!僕、30歳のころなんて全然フラフラしてましたもん。

白石 なんというか、30歳の時にいろんなものに感謝できたんですよね。好き勝手生きてこれたこととか、世界のどこでも行きやすいのは日本のパスポートの信頼度あってこそっていう気づきとか、実家があることとか、美しい自然とか……。そういうのに気づけたのは、いろんな価値観を教えてくれた大人たちに放浪していくなかで出会ったからだと思ってて。

山﨑 うんうん。

白石 いろんな人が気軽に出会える場を地元でつくりたいって、それで帰ってきましたね。京都は国内外から人がやってくる街やし、それを自分がつくることが、僕がやってきたことを世の中に活かすことになるかなって。

「まずは社会人をやってください」三十路の成人男性、はじめての社会人生活

京都に帰ってきてから、独立するまではいかがでしたか。

山﨑 京都帰ってきてすぐに独立したんですか?

白石 そのつもりで、石垣から戻ってきてその足で銀行に行ったんですよ。バックパック背負って「お金どうやって借りるんですか」って。

山﨑 (笑)。

白石 そしたら言われたんですよ「まずは社会人をやってください」って。

山﨑 あっはっは!

白石 僕、国内で生きてきたし、自分で収入得て生活もしてたんで「自分は社会人やろ!」って思ってたんですよ。でも違うんですね、世間一般の社会人って……。そんなルールとして書かれてもないこと誰が決めたんやろって疑問もありつつ、帰ってすぐできることがないことがわかったんで、アイリッシュパブで働きはじめたんです。

山﨑 飲食に行ったのは、理由としては?「繋がれる場所」っていうのは飲み食いできる空間ありきで考えてたんですか。

白石 そうですね。バーかパブか、カジュアルに飲めて外国人も気軽に集まれる場所が良かったんで。でも石垣島にいた時から、先輩のお店の手伝いでギネスビールは注いでたんですよ。酒場で働くっていう経験はあったんで。

山﨑 で、石垣島でギネス注いでた経験を糧に、とりあえず社会人を3年やると。

白石 でも30歳すぎて社会人1年目の僕と比べると、周りの人は10年くらい経験を積んでるわけじゃないですか。3年でどうやって追いつこうかなって考えて「ほな3倍働いたらいいんや」って。めっちゃ仕事しました。そのおかげで3年のつもりが、社長からたのまれてトータルで4年働きましたね。他人の3倍働いて、その時関西でいちばんギネスビール売ったっていう結果も残したんです。

山﨑 その、働かれてたお店でですか。

白石 そうですそうです。そしたら某ビール会社が褒章として、アイルランドに研修に行かせてくれたんですよ。

山﨑 無数にあるギネス出すお店のなかで関西イチですか。もはや真似できるとは思ってないですけど、どうやってそこまで売ったんですか。

白石 お客さんに注文を聞かずにギネスばっかり出すってことですね!

山﨑 わっはっはっはっは!!目から鱗すぎる!

白石 だって何しにきたんやって言うたら、アイリッシュパブに飲みにきたんやってことやし、ギネスばっかり出してました(笑)。で、通勤のときに同じ人が毎日通るじゃないですか、そういう人たちを毎日捕まえてました。「なんで帰んの」って店先で待ち構えて声かけたり、もはや職場に迎えに行ったりもして。

山﨑 なるほど、すごいな。それは拓海さんやからこそできることですね。いまビールに関わる店を持ってるのも、その経験が大きかったですか。

白石 それもありますし、ビールにした理由はいくつかあるんですよ。アイルランドに行った時にウイスキーのおいしさにも目覚めたんですけど、なかなかウイスキーって日本の人は飲まないんですよね。

山﨑 確かに。単純に度数も強いですからね。

白石 あと、いろんな人が集まる場所にしたいっていうところで、乾杯しやすい飲み物がええよなあって。あと、価格帯的にもあまり高くないもの。あとは「日本でつくられたもの」を扱うお店にもしたかったんです。日本のビール、日本のウイスキー、日本のお茶……。

山﨑 1店舗目の「BEER PUB TAKUMIYA」はとくにそういうコンセプトが強いですよね。フードも。

白石 そうですね。僕自身がかしこまるようなサービスに興味がないからですが、みんながフラットに話せて、日本のものを楽しめて、コミュニティをつくるもので。それに見合ったものを探していったら、ビールがいちばんよかったって感じですね。

やったらわかることがたくさんあるのに、なんでやらないのか

白石さんのキャラクターや興味のあるものに向かっていく性格はどこで形成されたものなんでしょう。

山﨑 高校卒業してすぐ海外に行ったり、テント暮らしで日本中放浪したり、それって親御さんがバックパッカーで、子ども時代の拓海さんを連れ回してたとかそういう?

白石 いや、そういうわけではないんですよね。ただ、ちっちゃい頃から外国の人と遊んでたかもしれないです。Jリーグの京都サンガが好きなんですけど、近くに住んでたブラジルの子とサッカーしたり。高校生の時に駅前にいる外国人の旅行者に声かけて、一緒に遊んで家に泊めたりとか……。

山﨑 へええ……。京都やし海外の人に会う機会は多いんでしょうけど、なかなかできないことやと思うんですよね、そういうの。そのフットワークの軽さというか、多くの人が超えられないハードルを当たり前ようにポンと越えていくじゃないですか。

白石 う〜ん。

山﨑 そういうとこすごいね、とか、俺にはできんなあとか、言われると思うんですよね。

白石 それはよく言われるんですけどね。あんまりその……他人が言う「怖い」っていうのが理解できんのですよね。

山﨑 怖いって感覚とか、感情がないってこと?

白石 恐怖心が薄いんかもしれないです。あとは興味ですかね。「あれ、これってどうなってんねやろ」と思うことってけっこうあるじゃないですか。たとえば国道1号線はどこまで続いてるのかとか。地図上で情報は手に入りますけど、気になったんで実際にバイクで端っこまで行ってみたりしましたね。

山﨑 ほうほう。

白石 やってみないとわからんことって世の中にものすごくあるのに、みんなやらないじゃないですか。石垣島にいた時に、潜水の仕事のお手伝いもしてたんですよ。海の近くに建築物を建てるときとかに、海底の削岩のために潜水士が海底に潜ってダイナマイトを仕掛けるんですけど「やってみないか」って言われて、それもやりました。

山﨑 それって、けっこう深くまで潜るんじゃないですか。

白石 そうですね、50mとか。水深50mってどんな感じ?ってよく聞かれるんですけど、あれは潜らないと説明できないんですよ。めっちゃ気になるじゃないですか。50m潜らないと見えない景色って。でも、声かけられてもみんな「怖いからいいです」って言うんですよね。僕はそういうの、常になんでやろって思ってました。

山﨑 なんかあって死んだりしたら怖いじゃないですか。

白石 そんなに人間簡単に死なないですよ。まあ、死ぬときは何しても死にますけど。素潜りでやるわけじゃないし、潜り方を経験者からちゃんと教えてもらって、50m底の風景を見られるんですよ。やらん理由がないじゃないですか。でも多くの人はやらない。

山﨑 いやいやもう、全然。僕は拓海さんの言う「なんでやらんの」って言われる側の人間なんですよ。普通に学校行って、普通に進学して。周りにそういう人もいなかったし、見えないしやり方もわからない。不安だから動けないっていうのはあると思います。

白石 それで言うと、その世の中の多くの人が言う「不安」っていうのには、多分僕はかなり鈍感なんですよね。

山﨑 不安に対して鈍感だから、高校卒業後、放浪できたんですかね。僕やったら進学しなくてええんかなって思っちゃいます。

白石 それでいうと、真逆の方向で、高校生の頃から「このままでいいんかな」っていう悩みはあったんですよ。高校なんて行くも行かんも自分で決められるのに、みんな進学してるから……で進学するでしょ。でも、進学したこと自体、自分で決めたことじゃないですか。だからそのなかで思いっきり楽しんだらいいと思うんですけど、学校つまらんとか、授業つまらんとか言うんですよね。その頃からいろんな大人に遊んでもらうことが多くなってきたんで、早く高校卒業したい、ここを出たいって気持ちはあったと思います。

山﨑 はあ〜。もともとの気質がそうで……ってことなんですかね。

白石 もともとの性格プラス、いろんなところ放浪してるうちに、結局自分で動かんとなにも体験できひんなって気づいたんです。大学行くこととか、就職活動して職に就くこと自体悪いとは全然思いませんけど、「嫌やな、しんどい」って自分で決めた場所なのにボヤきながら過ごしてる人が多くて、だったらそういうところに自分は行かなくていいかなと。

Interview & Text by ヒラヤマヤスコ
Photography by 福家信哉

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